前章からの続きとして、十九世紀における砒素を用いた有名な毒殺事件の例を、さらにいくつか挙げてみよう。 (6)エレーヌ・ジェガード事件 このブルターニュ地方出身の女は、そこらで売っているありふれた砒素を用いて、一八三三年から一八五一年までの十八年間に、じつに三十四人の人間を毒殺したという恐るべき記録の持主である。これはもう、屍体愛好症《ネクロフィリア》とでも呼ぶ以外に名づけようのない一種の精神病者であろう。 死神は彼女と手をたずさえて、方々の町にすがたをあらわし、彼女が女中として住みこんだ家では、一家全員が殺されるという惨事も稀ではなかった。表面はいかにも利口そうで、信心ぶかい様子をしているので、教会の坊さんや奉公先の主人も、みな彼女を信用したそうである。 しかし、彼女の用いた巧妙な毒の処方は、無学な医者をまんまとたぶらかし、薮医者はクループ性喉頭炎と勘違いして、瀕死の中毒者にスグリの実のシロップを飲ませるなどという、浅はかな子供っぽいことをしていた。それを見て彼女はどんなにほくそ笑んでいたことか。 最後に逮捕されたのは二人の医者の供述によってであるが、そのとき、大部分の犯行はすでに法的には時効になっていた。それでも一八四三年以後に十一件の盗み、三件の毒殺、同じく三件の毒殺未遂が犯されていたが、エレーヌはこれらすべてを頑強に否認した。しかし三人の犠牲者の内臓に、かなりの量の砒素が検出された。 窮地に追いつめられて言い逃れができなくなると、エレーヌは平気で矛盾したことを言ったり、黙りこんだりしてしまった。そこで彼女の弁護士もついに匙を投げ、最後の手段として、エレーヌを道徳観念の全く欠如した殺人モノマニア、つまり、一個の精神病者として弁護する以外に打つべき手がなくなった。 確かに彼女は不幸な精神病者にちがいなく、おそらく現在の裁判ならば、弁護士の主張通り、しかるべき施設に収容されることになるのが落ちであろうが、一八五一年の当時は事情が丸きり違っていた。すなわち、彼女はギロチンで首を刎ねられたのである。最後まで己の無実を叫びながら。 |