六十歳の女帝の男狂いについても、一言述べておく必要がある。

相手は薛懐義《せつかいぎ》という怪物。仏教の僧という触れこみであったが、もとは落陽の大同で薬を売る香具師《やし》にすぎなかった。武后が拾って、閨房に近づくに便ならしめるために、僧に仕立ててやったまでのことである。

この男はたいへんな法螺吹きで、傲慢で、誇大妄想狂であった。僧正の装いをして威張りくさり、緋の衣をひるがえして宮中をのし歩いた。それというのも、武后がすっかり彼に熱をあげ、彼の願いなら何でも聞きとどけようとしたからである。

のちに民衆の心に、武后が仏陀の再来であると信じこませたのも、この怪僧である。武后が明堂《めいどう》と呼ばれる広大な宮殿や、その背後に高さ三百尺におよぶ天堂《てんどう》を建立させたのも、彼の影響によるものである。彼女はまるで魔に魅入られたように、気ちがい坊主の頭から生み出される巨大な幻想の計画に、易々として服従した。

僧は武后とよく似て、派手好みの空想家であった。その点で、二人は同気相求めたのである。

武后はすべて巨大で輝かしいものを愛した。一名「万象神宮」と呼ばれた明堂には、漆喰づくりの馬鹿でかい大仏像が安置してあったが、この象は高さが二百五十尺もあって、その小指の上に十人乗れるほどであったという。

閨房での凄腕をも自慢の種にしていたという、この権勢欲の強い怪僧懐義は、わが国の奈良時代の弓削道鏡《ゆげのどうきょう》を思わせるところがある。道教もまた、その巨根で名高く、女帝にとり入って宮廷内に専横をきわめた坊主である。

武后と僧正は、仏教を利用して思うさま民衆をたぶらかした。前にも述べたように、武后が弥勒菩薩の化身だという説を唱え出したのが、この僧正である。記録によると、十人の僧侶に新たに大雲経なる教典をつくらせ、武后がこれを国中に配布したのだそうである。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:05:01