傷心のルクレチアは、その後二ヶ月ばかり、自分の城のあるネーピという町に引きこもって、亡き夫の思い出を暖めていた。が、やがて、またしても父からの呼び出しを受けて、急遽ローマに帰らなければならなくなった。 三度目の結婚が、早くも父と兄によって取りきめられていたのである。相手はフェラーラの支配者エステ家のアルフォンソ一世。 もはや完全に彼女は、父と兄の飽くなき政治的野心のための道具にされてしまっていた。反抗したとて、今さらなになろう? 一五〇〇年十二月、エステ家の使者がローマに来り、翌年一月に彼女をともなってフェラーラに帰るまで、ヴァチカン宮殿は、連日連夜、酒宴やら、舞踏会やら、バレエやらに賑々しく明け暮れた。 兄のチェザーレが歓迎会の主人役をつとめ、みずから馬に乗ってフェラーラの一行を出迎えに行った。供廻りの儀仗兵は四千人、馬具にはきらびやかな金帛《きんぱく》と宝石が飾られた。 ルクレチアのまだ消えやらぬ悲しみをよそに、ヴァチカン宮は管絃の音に鳴りどよめき、華やかな笑い声に満たされた。彼女も、父や兄になだめられて、黒い喪服を脱がないわけにはいかなかった。 チェザーレはどこにいても水際だった男ぶりであった。愛想よく、たくみに客をもてなした。夜は貴婦人と優雅に手を組んで躍り、昼は騎馬槍試合や闘牛で、剛胆な手並みをみせた。 しかし、時として悲しみに沈んだルクレチアの瞳と視線が合うと、この神をもおそれぬ放胆な男の顔に、いおうようない悔恨の暗い翳が走るのであった。誰がこのことに気がついたろう、妹以外の誰が?ボルジア家の者以外の誰が?・・・・・・ ルクレチアがローマから北イタリアのフェラーラに向って出発したのは、千五百一年月六日である。持参金は、宝石や従者の一行をもふくめて、ほぼ十万デュカと値踏みされた。 |