さて、ここでルクレチア・ボルジアの血統をしらべてみよう。 ボルジア家の系譜は十一世紀にはじまり、先祖はスペインのアラゴン王家と血のつながるヴァレンシア地方の名家であった。この名家から、二人のローマ法王が輩出しているのである。 一人は、アルフォンソ・ボルジアと呼ばれる法王カリストゥス三世であり、もう一人は、その甥にあたるロドリゴ・ランツォル・イ・ボルジア、すなわち後の法王アレキサンデル六世である。 そしてチェザーレとルクレチアの兄妹は、このアレキサンデル六世の妾腹の子であった。つまり、この一家はスペインから出て、ローマのヴァチカン宮殿に号令する地上最高の栄誉ある地位にまでのし上ったのだ。 兄妹の母親はヴァノッツァと呼ばれるローマ出身の身分の低い婦人で、父親のロドリゴがまだ枢機卿《すうききょう》であった時代に彼と関係をもち、三人の子供を生んだが、のちには別の男と結婚している。その他のことは、ほとんど知られていない。 ローマ法王ともあろう者が、若いころひそかに情婦を囲っていたと聞いては、奇異な感じをいだかれる向きもあろうが、ルネッサンス当時の法王庁内の異教主義的、自由主義的雰囲気ときたら驚くべきものがあり、ヴァチカン宮殿の内部に音楽家や、芸人や、俳優や、娼婦などを集めて、はでな宴会がひらかれたりすることも、しばしばだったのである。 ことに兄妹の父親であるアレキサンデル六世ときたら、恥知らずにも僧官売買罪を犯して、法王の位を買いとったほどの、史上で一二を争う悪名高いローマ法王で、まことに権勢欲がつよく、息子のチェザーレと手を結んで、何人の敵を毒殺したか知れたものではなかった。 |