ボルジア家がローマのヴァチカン宮殿に君臨していた時代は、美術史的にいえば「クワトロチェント」(一四〇〇年代)から「チンケチェント」(一五〇〇年代)にいたる過渡期であって、ルネッサンスがその最も華やかな爛熟の開花期を迎えんとしている時代であった。 また当時は、きわめて享楽的な気風がイタリア全土を風靡した時代で、名高いボッカチオの『デカメロン』をはじめ、ポッジオの『滑稽集』、ロレンツォ・ヴァルラの『快楽論』、アントニオ・ベッカデルリの『ヘルマフロディトゥス』などといった、官能的快楽をたたえる著作が数多くあらわれ、宮廷の男も女も、おおっぴらに争ってこんな本を読んでいた時代であった。 すぐれた人文学者であるヴァルラの『快楽論』には、処女性というものは自然に反するものだから、いつまでも処女を守っているのは不道徳であり、罪悪であるという極端な理論が、堂々と開陳してあったし、また奇人ベッカデルリの書物は、一種のエロティックな性愛指南書のごときものである。 そういう本が貴族社会でさかんに読まれたことを思えば、当時、娼婦たちとの交遊が活況を呈していたことも、容易にうかがい知れるだろう。 当時の有名な才色兼備の娼婦イムペリアが二十六歳の若さで死んだ時には、ローマ市をあげての盛大な葬儀が営まれ、サンタ・グレゴリア礼拝堂にりっぱな墓が建てられたという。娼婦は貴婦人と同じように、高い教養を誇り、貴族社会に自由に出入りしていた。 こういう時代的背景をよくよく考えてみなければ、あの伝説的なボルジア家にまつわる悪徳や、残虐行為や、毒殺の嗜好や、裏切りや、権力欲なども、なかなか理解できるはずはないのである。現代の尺度で過去の時代や風俗や道徳を計ることくらい、危険なことはない。 実際、ルネッサンス時代のひとびとの精神を現代の道徳的基準に照らしてみるならば、彼らはひとしく、不道徳きわまりない怪物のようにしか見えないだろう。ところが、当時の基準で計ってみれば、彼らはすべて普通人にすぎないのだ。 やはりそのころ、フィレンツォラという作家の『女性美について』という本が出ているが、これは女性の身体の外面的な美しさについて、事細かに述べたものであり、当時のひとびとが内面的な美、魂の美よりむしろ、外面的な美、肉体の美に対して、はるかに熱中していたことを示す好個の例である。その意味から、ルネッサンス期の特徴の一つは、魂の道徳的不感症といってもよかろう。 ボルジア家の悪逆無道をうんぬんする歴史家は多いけれど、ロードン・ブラウンというひとの次の短い言葉は、なかでも、いちばん意味ぶかいもののように思われる。すなわち、「歴史はボルジア家によって、十五、十六世紀の破廉恥を描き出すための画布として利用された」という言葉だ。 つまりボルジア家のひとびとは、「歴史」という一枚の巨大な白いカンヴァスに向かって、当時の道徳的頽廃ぶりを、原色のはげしいタッチで塗りたくったのであり、いわば彼らこそ、時代を代表して、このカンヴァスに向かいうる選ばれたひとたちだった、―という意味である。 |