ところで、あの映画のなかで、暴君チェザーレ・ボルジアに扮するのは、スペインの名優ペドロ・アルメンダリス、その妹のルクレチアに扮するのは、わたしの大好きなフランスの女優マルチーヌ・キャロルであったが、―いちばんわたしの印象に強く焼きついている場面は何であったかといえば、にぎやかなローマのカルナヴァレ(謝肉祭)の夜、長いマントをふわりとはおり、紫色のビロードの仮面で顔をかくし、護身用の宝石細工の短剣を身におびた淫婦ルクレチアが、血の騒ぎを抑えきれず、夜の街の人混みのなかへ、男をあさりに蹌踉とさまよい出て行く、妖しくも美しい場面であった。

ルクレチア・ボルジアの淫乱は、その兄チェザーレ・ボルジアの残酷とともに、昔から小説になったり(アレクサンドル・デュマの小説が有名)、戯曲になったり(ヴィクトル・ユゴーの戯曲が有名)、あるいは映画になったり(戦前にはドイツの監督リヒヤルト・オスワルトの作品がある)して、ほとんど伝説と化しているようなありさまだ。

ルクレチアがはたして淫婦であったかどうかという問題については、最近の学者の説によると、たいへん疑わしい点が多く、確実な根拠はぜんぜんないらしいのだけれど、映画にも出てくるような、こんな秘密めいた夜遊びのふるまいは、当時のイタリアの貴族の男女がよくやっていたことで、兄のチェザーレも、しばしば夜中にその護衛兵を伴ない、仮面をかぶって、おびえあがったローマの市中を血に飢えた狼のように徘徊していたという。

そしてそれは、有名な歴史家ブルクハルトの説によれば、単に民衆に顔を見られることを避けるためばかりでなく、その気違いじみた殺人欲、毒殺の欲望を満足させるためでもあったそうである。


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Last-modified: 2008-03-17 (月) 00:02:46