マリー・アントワネットの愛人と目される人物のなかで、いまだに謎につつまれているのが、スウェーデンの貴族フェルセン伯である。いったい、彼女とこの若い北国生まれの貴公子とのあいだには、尊敬以上のものがあったかどうか。 フェルセン伯の存在は長いこと世間の口にのぼらなかったが、彼が王妃の信頼と愛情を一身にあつめていたことは、彼の妹のソフィや父元帥に宛てた手紙からも窺い知られよう。王妃の側近と目されていた連中がすべて彼女を残して去った後も、危険を冒して彼女に近づき、血なまぐさい動乱の最中、ヴェルサイユやチュイルリーの一室で親しく彼女と謀議をこらしたり、ヴァレンヌへの逃亡を共にしたりしたのが、このフェルセンという勇敢な男であった。 一七九二年二月十三日、フェルセンが厳重な国民軍兵士の警戒網を突破して、最後にチュイルリー宮に王妃を訪ねてきたとき、彼はその一夜を王妃の寝室で過ごしたという。おそらく、死と破滅の危険によって昂揚させられた恋の夜は、容易に二人のあいだの慎しみの垣根を取りはらったにちがいない。二人が本当の、精神的肉体的にも敢然な恋人同士であったことは、この点からみても疑問の余地がないように思われる。 王妃には、ほかに寵臣がいないこともなかった。しかし公然と印刷された愛人のリストに載っているド・コワニー公にせよギーヌ公にせよ、エステルラジー伯にせよブザンヴァル男爵にせよ、彼らは単なる一時的な遊び仲間にすぎず、平和な時代の側近でしかなかった。彼らと異なり、フェルセンには一貫した誠実さがあった。これに対して、王妃もまた死ぬまで変らぬ情熱をもって報いたのである。 |