五七四年、兄弟である二人の王のあいだに戦争がはじまった。シジュベールノ率いるゲルマン軍の精鋭は、女騎士ブリュヌオーを先頭に、嵐のようにネウストリアを席捲した。シルペリクの長男テオドベールは、シャラントの合戦であえなく戦死した。ネウストリア軍の総崩れであった。フレデゴンドは王とともにベルギー地方のトゥールネに逃れたが、この町も、やがて敵軍の包囲攻撃にさらされるところになった。 苦境に立ったフレデゴンドは、一計を案じた。いつも土壇場に追いこまれると、ふしぎに頭がはたらいて悪智恵をめぐらすのである。夫のシルペリクは、近ごろめっきり気が弱くなって、坊主どもと一緒に礼拝堂でお祈りなどしている。彼女は、だらしのない夫が腹に据えかねた。「あのひとが何も手を打たないなら、あたしがやってやろう」と思ったのだ。 計略というのは、こうであった。すなわち、前から王妃に気のある様子を見せていた二人の若者に、興奮剤入りの酒をたっぷり飲ませ、いい加減その頭が錯乱してきた折に、毒を塗った短剣を渡し、「この短剣をもって、一刻も早くヴィトリの町へ行き、敵の王シジュベールを刺しておいで。王の血のついた短剣をもって、早くあたしの前に帰ってきた者が勝ちだよ」といったのである。血気の若者を色仕掛けで誘って、危険な仕事に駆り立てたのである。 二人の刺客は先を争って、ネウストリア国境近辺の町ヴィトリに達すると、戦勝気分で浮かれていた王の陣屋に難なく潜入し、しのび足で王のそばに近づいて、左右から退くの短剣を王の脇腹ふかく突き刺した。あふれ出る血の海のなかで、王は怖ろしい叫び声をあげた。とたんに、叫び声を聞きつけて、近習の者がばらばらと駈けてきて、二人の若者は取り巻かれ、その場でただちに殺されてしまった。 シジュベールが暗殺されると、戦局はがらりと一変した。フレデゴンドの計画は図に当ったわけである。王を失ったアウストラシア軍は大混乱を呈し、占領した町々を放棄して、ふたたびライン沿岸の根拠地にまでずるずると引きさがった。 パリに留まっていたブリュヌオーが、今度は逆に、圧倒的な敵の大群に包囲される羽目に陥った。しかし誇り高い彼女は、夫を失っても、いたずらに策を弄したりはしなかった。生まれたばかりの王子シルデベルトを忠臣リュピュスに託して、後方陣地へひそかに落ちのびさせると、彼女は城中にただひとり、玉座に坐って従容として敵の到来を待った。 甲冑の音を響かせて、彼女の目の前にまず現われたのは、彼女の死んだ夫の弟シルペリクと、その息子の若いメロヴェであった。(メロヴェはシルペリクの最初の妻オードヴェールの子である。) 「あなたがブリュヌオーだね?」とシルペリクが横柄に言葉をかけた。「いくさに負けたくせに、偉そうに椅子にふんぞり返っているとは、いい度胸だな。しかし、あなたの王国はすでに亡びたのだよ。あなたはもう女王様ではないのだ」 「あたしの愛する夫の弑逆者、兄弟殺しのシルペリク王よ」とブリュヌオーは平然と答えた、「なるほど、あたしは戦いには負けました。でも、あたしは依然としてアウストラシアの女王ですわ。なぜかといえば、王国はまだ亡びていませんから…」 「馬鹿をいってはいけない。あなたも、あなたの息子も、われわれの捕虜ではないか。王国はもう亡びたも同然だ」 すると、ブリュヌオーの唇にふっと皮肉な笑いが泛かんだ。 「シルペリク、あなたは御存じないのですか。あたしの息子は、もうこの城中にはおりませんよ。あなた方の軍隊がやってくる前に、パリを脱出して、今ごろは、モーゼル河畔のメッツの居城に無事に帰っているはずですわ。ですから、あたしは依然としてアウストラシアの摂政女王であるわけです」 シルペリクは唇を噛んで黙ってしまった。 実際、フランクの王族と血の繋がりのないブリュヌオーを殺しても、大して意味がないのだった。どうしても殺さなければならない相手は、王位の継承者たる彼女の息子だったが、これはすでに手のとどかないところに逃げてしまっていた。考えれば考えるほど、シルペリクは腹が立った。二つの国の王冠を手に入れるという望みは、こうして絶たれてしまった。 |