城中の召使たちにとっては、死者の埋葬が悩みの種であった。最初のうちは教会の方式通り、牧師を呼んで手厚く葬っていたものだが、だんだん死者の数がふえてくると、事実を隠蔽するのが困難になった。不安になって、娘に会いに城へやってくる母親もあった。が、娘はすでに二目と見られぬ姿になって、なぶり殺しにされているのである。母親に会わせず、早く埋めてしまわねばならない。―噂は噂を呼び、伯爵夫人の立場は、次第に危険なものになっていった。 それなのに、彼女はあまりにも無謀であった。卑しい百姓娘の血に飽き足りなくなって、貴族の娘の高貴な血をすら求めたのである。 この彼女の無謀さ、大胆さは、嬰児殺しジル・ド・レエの錬金術に関する狂気の探求を思わせる。が、ジルと彼女とのあいだには、一つの決定的な相違があることを強調せねばならない。ジルはつねに悪魔ないし神に目を向けた、夢想家肌の男であり、悪事を犯すごとに悔恨の念に苛まれていた。一方、伯爵夫人の心には、彼岸に対する憧憬はまるでなく、悔恨の念はついぞ萌したことがない。 真の人間的な恐怖は死そのものでなく、混沌《カオス》ともいうべき虚無の兆であるべきだろう。生涯の最後に悔悟し、喜んで火刑台にのぼったジルは、その点においてきわめて人間的であった。しかるに伯爵夫人は、最後まで怖ろしい虚無の暗黒に身をさらしながら、自己自身という唯一の豪奢につつまれて、孤独のうちに死ぬのである。彼女ほど極端なナルシスト、極端な自己中心主義者は世にもあるまい。 |