そのころ、ウィーンではだれいうとなく、「血まみれの伯爵夫人」という渾名が彼女につけられていた。噂によると、彼女がウィーンへきて泊る宿屋では、毎夜、娘たちの悲鳴が聞え、朝になると街路になると街路に血が流れているというのだった。最初のうち、村の牧師はこんな噂を信じなかった。しかし、イロナ・ハルツィという教会の女歌手が、エルゼベエトに伴なわれてウィーンへ行き、やがて手脚をばらばらに切断され、屍衣につつまれてチェイテの城にもどってきたのを見ると、牧師の心に疑惑の雲がむらむらと湧き起った。 エルゼベエトの弁明によると、ハルツィはウィーンの宿で不行跡をはたらいたので、死をもって処罰したというのである。が、彼女が不当な拷問を受けたのはだれの眼にも明らかで、人の好い牧師といえども騙されているわけにはいかなかった。そこで、牧師は埋葬に立ち会うのをやんわりと拒絶した。 こんなふうに、城の女主人の怖ろしい振舞いに、疑念をいだいたひとも一人ならずいたのであるが、彼女の報復を怖れて、裁判がはじまるまで、だれものこのことをあからさまには口にしなかったのである。 |