ロンドン塔の牢獄から出て、二十五歳で王位についたエリザベスは、実際、並はずれた虚栄心の強い女性だった。すべての男が自分に恋し、すべての政治が自分を中心に動いていなければ気がすまない、といったところがあった。 当時の宮廷には、極端に女性の数が少なかった。上下合わせて千五百人から成る廷臣のなかで、女といえば、寝室付の侍女が三、四人、私室付の女官が七、八人。その他もっと身分の低い者もふくめて、全部でせいぜい三十人くらいにすぎなかった。なるほど、これでは女王様が一人で男たちにちやほやされるのも、無理からぬことかもしれない。 宮廷の風俗も、この類まれなギャラントリーの時代にふさわしく、まことに華美をきわめていて、女王や貴婦人や貴族の服装は金色燦然たるものがあった。 十六世紀の半ばにスペインから輸入された貴婦人の服装は、極端に胸をしめつけ、袖を優雅にふくらまし、腰から下に大きく張ったフープ(鯨骨の枠)を入れて、スカートをふくらませる。ラフと呼ぶ襞《ひだ》の多い襟飾りは、薄い紗のような織物を糊で固めてつくったもので、まことに繊細なこの時代をよく現わしている。 男も女と同じように、派手な胴衣に大きな真珠などを、これ見よがしに縫いとりしていた。シェークスピアの芝居など御覧になればお分かりのように、当時の男の服装はじつに派手なものである。ナイトのズボンはぴっちりと脛をつつみ、脚線美はまる出しである。ふっくらした下袴は、ビヤ樽のように詰物でふくらませてある。 さらに、この時代の伊達男たちの服装の特徴は、ズボンの股間に縫いつけたコッドピース(股袋[ またぶくろ])と称するものだ。これは、男性の象徴をおさめるための嚢である。後にはみな、この葉の大きさを競い合ったものである。(ちょうど現代の女性がブラジャーにパッドを入れて、乳房の大きさを誇示するようなものだ。) 女王の周囲には、名門の子弟五十人から成る親衛隊というものがあった。彼らはぴかぴかした金の大斧をもち、いつも女王のそばに控えている。この毛並みのよい連中には、将来の華やかな経歴が約束されている。 女王様の御健康を守るためには、六人の外科医、三人の内科医、三人の薬剤師がいた。また占星博士がいて、女王様の御脈と天文現象との相関関係について、哲学的な研究にふけっていた。 エリザベス御自身も、薬物学に趣味があって、みずから「健脳興奮剤」なるものを発明し、錬金術に血道をあげていた神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世に贈っている。この薬の処方は琥珀、麝香、霊猫香[れいびょうこう]などの香料を薔薇精に溶かしたもので、おそろしく高価なものだった。女王の薬剤師ヒュー・モーガンには、女王はよいお顧客さんであったにちがいない。 また宮廷には、ヴェネツィア、イタリア、フランドルなどから来た外国人の音楽家が大勢住みついていた。ダンスも大いに流行し、優雅な踊りぶりは宮廷人の欠くべからず資格であった。女王もダンスの愛好家で、ほとんど毎日のように廷臣相手に、フィレンツェ風の踊りを踊っていた。 仮面舞踏会やら野外劇やら、鷹狩りやら馬上試合やら、すべて女王を中心とした、四季折々の華やかな催しに明け暮れる宮廷生活は、どんなにかすばらしいものであったろう。男まさりの女王は鷹狩が好きで、各国大使をイングランドの原野に誘ったが、かえって男のほうが慣れない遠出に疲れて参ってしまうというふうであった。 |