新約聖書には、マグダラのマリアとされている女が三人登場するのであるが、この三人は同一人物だという説もあり、また全く別の人物だという説もあって、現在でも、はっきりしていないらしい。 まずその一人は、ルカ伝に出てくる「罪ある女」である。彼女はカペナウムの町のパリサイ人シモンの家で、キリストの足を自分の涙で濡らし、髪の毛で拭い、つぎにその足に接吻して、香油を塗ったため、キリストから罪を許された。この「罪ある女」が、一般に、もと娼婦ということにきめられてしまったらしいのである。 もう一人は、ベタニヤのマリアと呼ばれているキリストの女弟子で、マルタの妹、ラザロの姉である。彼女はキリストの受難の前に、その頭と足に高価なナルドの香油を注いだ、ということになっている。 三人日の女は、ルカ伝やマタイ伝に出てくる、ガリラヤ湖の西岸マグダラ生まれのマリアである。彼女は「七つの悪魔」に悩まされていたが、キリストにその病気を直してもらい、喜んでキリストや弟子たちに奉仕するようになった。カルヴァリの丘で、イエスの十字架を最後まで見守り、三日の後、空虚なイエスの墓を訪れて、復活したイエスに会ったのも彼女である。 その後のマリアについては、聖書には何も語られていないが、中世の伝説では、このマグダラのマリアは、のちに小舟に乗ってフランス南部のマルセイユ付近に流れつき、やがて同地の近くの荒野に引きこもって、三十年間も孤独の生活をつづけた、といわれている。 また一説によれば、小アジアのエフェソスで死に、東ローマ皇帝レオ六世の手で、その遺骨がコンスタンティノープルヘ運ばれたともいう。 これらのマリアがすべて同一人だとすれば、まことに波瀾万丈の生涯を送ったわけで、画家がこれを絵に描いて表現したいという気を起すのも、あるいは当然であるかもしれない。 |