マリーは毒薬の実験のために、まず犬や猫を使ったが、だんだん、それでは満足できなくなって、人体実験に移っていった。ある日、お菓子や果物をもって、パリ市立慈善病院に姿をあらわし、貧乏な患者たちにそれらをあたえたのである。「さあ、どうぞ、召し上ってくださいね」と言って、やさしい顔をしてすすめる。当時、上流夫人が慈善を行なうのは少しも不思議ではなかった。彼女は大いに感謝され、聖女だという評判になった。しかし、数日後、あわれにも患者たちはばたばた死んでいったのである。 毒薬実験の対象になったのは、病人ばかりではない。邸の小間使も、すぐりの実のシロップを飲まされて、廃人同様の身になった。またマリーの父親は、八ヵ月間苦しみ抜いたあげく、力つきて死んだ。最後まで娘が病床につきっきりで、献身的(?)な看病をした。じつは、毎日、少しずつ毒を盛っていたのである! 父親を殺すと、つぎは弟たちの命をねらい、二人とも首尾よく厄介払いした。さらに自分の妹と義妹、それから昔の情人にまで魔の手をのばしたが、これは失敗に終った。 驚くべきは、これほどまでの大量殺人が、世間から見逃されていたことであろう。当時は、まだ毒物検出の方法が、科学的に確立していなかったので、疑わしい死に方をした場合でも、被疑者を逮捕すべき決定的な証拠がつかめなかったのである。 ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が悪運つきて逮捕されたのは、その犯罪の共犯者たる恋人ゴーダンが、自宅で毒薬実験の最中に、あやまって自分が毒を吸って死んでしまったからだった。ゴーダンの家に小箱が残っていたが、その中に、証拠となるような彼女の手紙が三十六通、発見されたのである。 一六七六年七月十六日、侯爵夫人は毒殺犯として焼き殺された。死刑の前に、裁判が行なわれたが、彼女は最後まで、片時も冷静さを失わず、裁判官たちを冷笑するような、傲然とした態度をくずさなかった。これには、並みいる傍聴人も、ひとしく舌を巻いたということである。 |