恋人は何人もっても、結婚だけは決してしない女王。美しく逞しい男性を、自分の周囲にひきつけておくのが最大の願いだったにもかかわらず、一生涯、誰にも身を許さなかった女王。−そこで、この処女王をめぐって、いろんな伝説が取沙汰されることになったのである。 肉体的欠陥説というのもある。当時の名高い劇作家ベン・ジョンソンによると、「女王には、男性を受けつけない粘膜があるので、いくら愛戯を試みても駄目なのだ」そうである。しかし、これは興味本位の無責任な放言であろう。 たぶん、女王は少女時代に、何か心理的な深刻な打撃を受けて、そのために、大人になってからも、肉体的な交渉に対する嫌悪感を克服することができなかったのであろうと思われる。心理学者のシュテーケルが観察しているように、こういう場合、強いてその行為を遂行しようとすれば、ヒステリー性の痙攣をひき起すのである。そういえば、たしかに女王の感情生活は、ごく幼いころから、緊張と恐怖の連続であった。二歳八カ月のとき、彼女の父(ヘンリー八世)は、彼女の母(アン・ブーリン)の首をはねた。自分の母親が自分の父親の命令で、断頭台で首を切られるのを見れば、誰だって多少、気が変になろうというものである。 十五歳のとき、エリザベスは色事師の海軍卿に結婚を申しこまれ、おまけに、彼の謀叛の罪にあやうく連坐するところだった。二十一歳のときには、やはり反乱に加担した嫌疑で、実際にロンドン塔の獄にぶちこまれているのである。 こんな異常な少女時代を送ったのだから、エリザベスの性生活が、その影響で病的になったとしても無理はなかろう。しかも、女王自身は、自分の処女性を大そう自慢にしていたのだから、話がややこしくなってくる。 処女性は大事なものかもしれないが、また同時に、捨てなければその価値を実現することができない、というのが、処女性の本質的なバラドックス(逆説)であろう。 |