フランスで最も裕福で由緒ある大貴族家の一つ、ラ・ロシュフコー・リアンクール家に生まれ、軍職に就いた。父はルイ・フランソワ・アルマン公(1695〜1783)。1768年のイギリス旅行後、重農学派の影響を受けた彼は農場直営を説き、自領リアンクールに大モデル農園を経営、また貧困児童や軍人子弟のための工芸技術学校を設立した。 1789年、全国三部会には貴族議員として出馬して、第三身分勢力とともに王制への改革を要求し、全国三部会の、国民議会への転換に賛成した。

バスティーユ落城の報をルイ16世にもたらしたのは彼である。国王の衣装係で、王の寝室に自由に出入りできる権利を持っていた彼は、バスティーユ落城の翌日7月15日の午前8時に王にこの事を告げたが、その際の問答は有名である。彼よりの報告を聞いた王の、「それは暴動か」という問いに、彼は、「いいえ、陛下。革命でございます」と答えたという。-http://ikebukuro.cool.ne.jp/fleurdelis/ra/Liancourt.htm

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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:06:06