プルタルコス(英プルターク、Plutarchos、46年から48年頃〜127年頃)は帝政期ローマのギリシア人著述家である。豊かな教養と堅実な思想が特徴。 ボイオティアにあるカイロネイアの名門出身。アテナイで数学と自然哲学を学び、ギリシャ本土と小アジアのサルディス、エジプトのアレクサンドリアに赴き、カイロネイアの使節としてローマにも度々滞在した。生涯を故郷で過ごし、市民と親しく付き合い、ローマからの客をもてなしたので、家は大いに賑わったとされる。一方では、デルフォイ神殿の神官と交流を持ち、神託を推奨した。 著作活動は熱心で、3世紀頃に編纂されたプルタルコス著作目録によれば、古代ギリシアと古代ローマの英雄の伝記を対比させながら描いた『対比列伝』をはじめ、227もの書物が挙げられている。後世でも人気が高く「倫理論集」はエッセーの起源であり、モンテーニュに影響を与える。-wikipedia.jp |