今回は、ちょっと目先を変えて、はるかに遠い大昔の話をしよう。
 テュアナのアポロニオスといって、ちょうどキリストと同じ時代(紀元一世紀)に生きていた、新ピュタゴラス派の大哲学者がいた。哲学者といっても、この当時の哲学者は、べつに本を書くわけではなく、ただ各地を歩きまわって、いろんな奇蹟をやったり予言をしたり病気を治療したりする、一種の魔術師でぁる。魔術師としてのアポロニオスの評判は、キリストと同じくらい高く、だから当時の人々は、キリストとアポロニオスとどちらが偉いか、などと大まじめに論じ合ったりしたものである。考えてみれば、キリストだって一種の魔術師ではないだろうか。
 正確な年月は分らないが、アポロニオスはキリストと同じ頃、カッパドキアのテュアナという町に生まれ、紀元九七年頃、エーゲ海に面した小アジアの町、エペソスで死んでいる。生涯にわたって、ヨーロッパや中近東各地を旅行して歩き、パラモン哲学を研究するため、遠くインドにまで足をのばしたと伝えられる。きわめて徳が高く、神秘な学問をふかく窮めていたから、集まる弟子も多く、終焉の地エペソスでは、学校をひらいて弟子たちを教育していた。
 この怪人物の伝記を書いたのは、ローマ帝政時代のフィロストラトスという学者である。アポロニオスに関するふしぎな伝説は、ほとんどすべて、このフィロストラトスの本のなかに述べられていると言ってよい。むろん、これから私が紹介するエピソードも、この学者の本のなかから引用するわけだ。
 さて、フィロストラトスによると、この古代の怪人物アポロニオスは、あたかも十八世紀の神秘主義者スウェーデンボルクのように、ふしぎな透視の能力をもっていたという。つまり一種の千里眼である。スウェーデンボルクがロンドンにいながら、ストックホルムの大火を透視したという話は有名であるが、アポロニオスもまた、エペソスにいながら、約千五百キロも遠く離れたローマにおける皇帝の暗殺をまざまざと見たのである。
 当時、ローマには皇帝ドミティアヌスが君臨していた。この皇帝は暴君として有名で、最後には妻の陰謀で、一人の奴隷に短刀で刺されて殺されるのである。殺されたのは、ちょうど正午の時刻であった。同じ頃、アポロニオスはエペソスの闘技場に隣接した庭園で、しずかに講義をしていた。と、突然、彼が講義を中断して立ちあがり、まるで幻覚でも見たように叫び出したのである、「それ、今だ、暴君を刺せ!」と。
 弟子たちは呆気にとられ、先生が急に気が狂ったのかと思った。しかし、しばらくすると、アポロニオスはふたたび冷静を取りもどして、弟子たちを眺め渡しながら、「よいか、エべソスの諸君」と語り出した、「ただ今、暴君は殺されましたぞ。ミネルヴァの女神も照覧あれ。たった今、私が講義を中断した時に、暴君は刺されて死んだのです……」と。やがて知らせの者が駈けつけてきて、皇帝暗殺のニュースを告げると、人々はさらに驚いた。時刻も状況も、アポロニオスが語った内容とぴたり一致していたからである。


 フィロストラトスの伝記に出てくる第二のエピソードは、この神秘な能力をもった魔術師が、悪魔に苦しめられている病人を回癒せしめた物語である。
 ある若い男が、悪魔に取り憑かれて苦しんでいたので、人々はアポロニオスを連れてきて、この病人の体内に棲みついた悪魔を追い出してほしい、と頼みこんだ。アポロニオスは「よろしい、これから催眠療法を行います」と言って、たちまち若い男を眠らせると、その顔をじっと見つめ出したのである。魔術師にじっと見つめられると、やがて体内の悪魔は居たたまれなくなって、弱々しげな声で、「申しわけございません、アポロニオスさま」と哀訴した、「これから出て行きますから、どうかもう御勘弁を……」するとアポロニオスは、まるで先生がいたずらな生徒を叱るような調子で、「本当か。本当ならば、その証拠を見せてみろ」と言った。
 悪魔は答えて、「それでは出て行った証拠として、向うに見える廻廊の下にある石像の一つを、ひっくり返してごらんに入れましょう」と言った。そこで、みんなが見ていると、やがて石像はぐらぐら揺れ出し、最後に大きな地響きを立てて、どうと倒れたのである。と同時に、それまで眠っていた病人がふっと眼をさまし、眼をこすり、周囲の人々をふしぎそうに眺め出した。何にも知らないうちに、彼の体内から悪魔が出て行ったのである。病人はふたたび健康になった。
 余談にわたるが、悪魔が人間の体内にもぐりこんだという話は、ヨーロッパの中世にたくさん残っている。有名なローマ法王のグレゴリウス一世さえ、ある若い修道女が悪魔を呑みこんでしまったという、奇妙な話を書き残しているくらいである。
 あるとき、女子修道院の菜園で、彼女がレタスの葉を摘んで食べていると、何だかお腹のなかに悪魔が入ってしまったような気がして、大そう心配になった。やがて修道院中が大さわぎになって、魔よけの祈禱師が呼ばれてくる。お腹のなかの悪魔に向って、「早く出てこい」と祈禱師が説諭する。すると悪魔は、「冗談じゃない。だれが好きでこんなところへ入るもんか。おれがせっかくいい気持に菓っばの上で昼寝をしていたら、この娘が摘まんで食ったんじゃないか」と、大いに心外な様子である。結局、悪魔は簡単に自分から出て行って、けりがついたという、まあ、これは笑い話のようなエピソードだ。


 さて、アポロニオスに関する第三の伝説は、この魔術師が怖ろしい女怪の正体を見破り、弟子の生命を救った物語である。
 アポロニオスの数多い弟子の一人に、メニッボスという二十五歳の美貌の青年がいた。貧乏ではあったけれども、大そう頭がよいので、アポロニオスは青年を可愛がり、いつも旅行に連れて歩いていた。このメニッボス青年が、あるとき、その師に向って、こんなことを言い出したのである。
 「先生、今日はちょっとお願いがございます。今まで先生には黙っておりましたけれども、私は先日、センチレー街道をぶらぷら散歩中、一人の麗人に出会いました。そして彼女が申すには、ひそかにあなたさまをお慕いしておりました、とのこと。彼女はコリント郊外にひっそりと住んでいる、フエニキア生まれの外国婦人ですが、とても金持で、おまけに美人で、私を熱愛しておりますゆえ、つい私も情にほだされました。私はと言えば、ごらんの通り、哲学者用の外套一着しか持っていない貧乏書生で、彼女とは身分が違いすぎるように思われますけれども、彼女の方も、私と結婚することを望み、私の方も、やはり彼女と一緒にならなければ幸福にはなれないような気がいたします。で、彼女と結婚の約束をしたわけなのですが、釆たる結婚披露宴の主賓として、先生にぜひ出席していただきたいと考えまして……」
 アポロニオスは黙って聞いていたが、どうもこの男、日頃の冷静沈着ぶりにも似合わず、少し言うことがおかしいな、と思った。若い弟子の身に、何か大きな危険が迫っているような、不吉な予感がしたのである。そこで、ふだんは人の集まる宴会などに出かけて行く習慣をもたなかった哲学者も、招かれて披露宴に行ってみる気になった。披露宴の会場は、例の金持の外国婦人の家であった。
 アポロニオスが会場に着くと、すでに宴会の準備は整っていて、豪華な料理や葡萄酒が卓上にずらりと並び、金や銀のお皿がぴかぴか光っていた。哲学者は、花嫁を紹介してほしいと言い、鋭い目つきで彼女をじろりと眺めると、やおらメニッボスの方をふり向き、「いったい、この豪勢な金銀のお皿や室内装飾は、だれのものかね」とたずねた。「むろん、彼女のものですよ。なにしろ私の財産ときたら外套一着なんですから」とメニッボスが笑って答えた。
 すると哲学者が断乎とした調子で、次のように言い放ったのである。「このお皿も装飾品も、すべて本物ではないぞ。ただの見せかけだ。そして君の美しい上品な花嫁さんも、じつは人間ではなくて、人間を食う吸血魔女なのだよ。こんな女は、アフロディテー祭の生贅《いけにえ》として殺してしまった方がよい」と。
 これを聞くと、例の婦人はさっと顔色を変えたが、何食わぬ顔をして、つくり笑いを浮かべながら、次のような皮肉を言った、「哲学者と呼ばれる先生がたは、いつも不吉な予言をしては、民衆をおどかし、正直な人々の楽しみを奪ってしまうのがお好きな人種なんですね。あたしがお招きしたわけでもないお客さまは、どうか出て行っていただきたいものですわ」と。
 しかしそのとき、アポロニオスは、テーブルの上の銀のコップを手にとって、その重さを量《はか》ってみたのである。すると不思議や、コップは羽のように軽く、哲学者がそれを空中に投げると、す−つと煙のように消えてしまった。同じようにして、他の食器や装飾品にも手をふれると、それらは次々に消えて無くなってしまった。料理人や召使たちは、アポロニオスが呪文を唱えると、一塊りの灰になってしまった。そして最後に、家は崩れて廃墟になってしまった。
 吸血魔女の正体を見破られた婦人は、「アポロニオスさま、もうこれ以上あたしを辱しめないで……」と哀願しっつ、ついに真相を白状せざるを得なかった。それによると、彼女は美貌の若者メニッボスをうんと太らせて、いずれは彼を食ってしまうつもりだったのである。メニッボスは、危ういところで、その師に生命を救われたわけであった。
 一説によると、このメニッボスをだました吸血魔女は、古くから知られるラミアという女怪で、夜間、テッサリア地方の村人の血を吸ってまわったという伝説の主であった。血もあり肉もあり、ちゃんと目に見えるが、むろん本当の人間ではなく、多くは美しい淫婦の姿をして現われ、男を誘惑するのである。まあ、ドラキュラやカーミラの遠い祖先だと思えば間違いなかろう。
 しかしギリシア神話では、ラミアはもとフリギアの女王で、ゼウスに愛されたほどの美女であったのに、その子供を失ったことから、世の母親すべてを嫉妬するようになり、ついには片っばしから子供をとらえて食うという、怖ろしい所業に及ぶようになった女怪である。この種の伝説は、ギリシアばかりでなく、世界中にひろく分布している。
 たとえば日本にも、「ウブメ」とか「陰魔羅鬼《おんまらき》」とかいった妖怪の種類があるが、これらはいずれも、屍体の気が変じて鳥になったという妖怪であり、ラミアもしばしば鳥の形で表現されることがあるので、ヨーロッパと東洋の伝説の共通性が、こんなところにも認められるのだ。
 ウブメは姑獲鳥、産婦鳥、産女などとも書き、出産のために死んだ女が化身したところの、鳥の姿をした妖怪である。ラミアと同じように、夜間、飛びまわって子供をとらえ、これを食うと伝えられる。『百物語評判』によれば、「その形、腰より下は血に染みて、その声をば、れうれうと鳴くと申しならわせり」とある。しかし西洋のラミアには、男を誘惑する淫婦としての一面もあったが、ウブメには、そういう面はないようだ。


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Last-modified: 2006-08-19 (土) 10:56:19